2009年01月08日春秋(12/31)
谷崎潤一郎が住んだ小石川原町、
いまの東京都文京区白山辺りから銀座へ、
歩くとざっと1時間半。
この道を、彼は6つ年下の芥川龍之介としばしば散歩した。
芥川が20代後半、大正のころだ。
「実によく歩いてしゃべるんですね」と谷崎が振り返っている。
▼辛らつな文学論だけでない。
谷崎の赤いネクタイと
芥川の道行き姿と、
どちらがおかしいか。
そんな他愛のない話もしながら、
時には「もういっぺん歩いて帰りましょうか」
になったという。
外気と移り変わる景色と運動が、
才人2人の頭を刺激したのだろう。
横で聴いていたい気がする。
▼「巣ごもり」がはやった年だった。
でもこの時期、
見慣れた色とまったく違う澄んだ空が
都心にも広がっている。
歩く。
「100年に一度の津波」に襲われはしたが、
北京五輪やノーベル賞の笑顔があった。
家族の支え。
碁敵に放った会心の一手……。
あれこれ思えば、
いいことだって必ず幾つか浮かんでくるだろう。
▼勝海舟は長崎でオランダ人教師に
時間さえあれば散歩しろと教えられ、
その魅力と効能にはまった。
志賀直哉も散歩が好きだった。
それがかなわなかった昭和9年の大みそか、
日記にこう書いている。
「毎日家にばかりいると下らぬ事に
カンシャクを起こしてよろしからず」。
小説の神様は巣ごもりが苦手だった。
2009年1月7日(水)
しばらく前の
週刊朝日で脚本家の内館牧子さんが
「ポニョ」について書いていた。
「崖(がけ)の上のポニョ」ではなく、
「肘(ひじ)の上のポニョ」の話だ。
二の腕に余分な肉がついてポニョポニョしている。
これは多くの中年女性が頭を痛める問題なのだという
▼ほかにも「腰の上のポニョ」やら
「尻の下のポニョ」やら、
生息場所は体中にあるそうだ。
だから油断は禁物らしいが、それは女性に限らない。
正月休みを終えて、
わが身のポニョの気になる人が
少なからずいるのではないか
▼最近は「正月メタボ」などと言うそうだ。
体を動かさず、もっぱら口を活躍させた結果である。
この年末年始は曜日の巡りで休みが長く、
不況で「巣ごもり」が流行(はや)った。
ポニョの「作況指数」は、
例年を上回る豊作になりそうである
▼人の肥満は農耕とともに生じ始めたといい、
糖尿病との付き合いも古くさかのぼる。
時をへて、今や「国民病」の様相だ。
暮れに厚生労働省が、
患者とその予備群は推計2210万人にのぼると公表した。
40代以上だと3人に1人が該当するそうだ
▼運動不足や偏食、過食が大きな要因らしい。
症状もなく忍び寄って体をむしばむ生活習慣病である。
正月についた「食っちゃ寝」の習慣と無駄な肉は
、早めの退治がお勧めだ
▼天の配剤というべきか、
きょうは七草粥(ななくさがゆ)で
無病息災を願う日。
胃袋を休め、質素に食べて気を引き締め直すのもいい。
七草をとんとん刻めば、
音が邪気を払ってくれるという。
ズボンやスカートの胴が楽になった気がしたら、
それは儲(もう)けものである
http://www.asahi.com/paper/column.html
2009年1月6日(火)
愛の反対は憎しみではなく無関心だともいう。
それなら憎しみの反対は何か、
と考え込んでしまう。
断ち切れぬ「憎悪の連鎖」にまた火がついた。
イスラエルとパレスチナである
▼〈おれは 民衆を憎まない。/おれは だれからも盗まない。/けれどもだ、/もしも おれが怒ったなら/おれは わが略奪者の肉を食ってやる。/気をつけろ、おれの空(す)きっ腹に、/気をつけろ、おれのむかっ腹に。〉。
去年他界したパレスチナの
名高い詩人ダルウィーシュの一節だ(土井大助訳)
▼自身もイスラエルの建国で故郷を奪われた。
血を呑(の)んだ大地に立てば、
胸の内の言葉は、
そのまま相手への剣になる。
「愛の詩でさえ、ここでは抵抗の詩になってしまう」と
生前語っていた。
互いの憎しみの深さに暗然とする
▼パレスチナ自治区ガザへのイスラエル軍の攻撃で、
死者は500人を超えた。
片や、イスラム過激派のハマスは徹底抗戦で構える。
「世界の良心」のはずの国連は例によって音無しだ。
炎と煙の中で民衆の悲嘆がわき上がる
▼わが手元に、もう一人の「詩人」の本がある。
ハマスの自爆テロに遭って15歳で落命した
イスラエルの少女、
バット・ヘン・シャハクの『平和への夢』。
平和をこよなく願い、日記や詩文を残した
▼〈美しい言葉の裏側に/苦しみ、痛み、恐れ、不安の年月が/隠されています/でも、これらの言葉の倉庫には/もう一つの言葉がある――それは、希望〉。
憎悪の「火薬庫」からもう一つの言葉を救い出す。
切なる願いを、つなぎとめる術(すべ)はないか。
http://www.asahi.com/paper/column20090106.html
2009年1月4日(日)
生まれつき目が見えない
河野(こうの)泰弘(やすひろ)さん(28)が、
著書『視界良好』(北大路書房)に書いている。
「メールが届くといつも、
封を切って手紙を取り出すような気持ちになります。
今度は誰がどんなことを……」。
差出人、件名と一字ずつかみしめていく
▼パソコンは普段、
画面を音声で読み上げるソフトで操るが、
メールだけは機械で点字に換えて読む。
字を追いつつ、
相手の胸中までが見えてくるという。
その点字を考案したルイ・ブライユが
フランスに生まれて、
きょうで200年になる
▼3歳で失明、盲学校にいた15歳の時、
軍の夜間伝令を参考に3×2で並ぶ点字をあみ出した。
六つの点で字や記号を表す方式は
やがて世界に広がる。
目が見えなくても、
読み書きを学び、
主張し、
創作できるようになった
▼中央大を出て、
盲ろう者の介助に携わる河野さん。
幼いころから読書を重ねて興味を持ったのは、
誰にも全容を見せない宇宙だった。
高校時代のキャンプで夜中にテントを抜け、
一人静寂の中に立った。
満天の星であろう頭上から、
何とも言えぬ温かい気配を感じたそうだ
▼視覚以外が磨かれるのだろう。
指先から知識を吸収し、
鋭敏な枝を張る大樹を思い浮かべる。
鍋の卵が踊る音からゆで加減を計り、
風の中に雨の兆しを嗅(か)ぐ。
河野さんが「見ている」世界を知るほどに、
わが目に見えるものが頼りない
▼面識のない人と、
見えない世界を一部でも共有できるのは、
19世紀の偉人のお陰である。
点字、手話、外国語。伝え合う手段は
、人生と社会をずっと豊かにする。
http://www.asahi.com/paper/column20090104.html

